2014年7月10日(木)〜13日(日)まで、銀座もとじにて『仁平幸春展 仁平幸春展 〜今様更紗〜』を開催させていただきました。 12日(土)には、仁平幸春さんをお迎えして、ぎゃらりートークを行いました。
今回の個展のテーマは『今様更紗』
「“今様”というのは斬新という意味ではなく、 新しく伝統を捉えなおすことで新しさが出るということ。現代の目で伝統の更紗を 新しく捉えて再構築した作品です。」 集った作品は、まさに仁平さんならではの個性豊かな世界観があふれていました。また今回は、銀座もとじが繭からプロデュースしている、世界で初めての“雄だけの蚕品種”、純国産の『プラチナボーイ』の絹布でもオリジナル作品を作り上げました。
【プラチナボーイ】
「竹花更紗」
「竹花更紗」
【プラチナボーイ】
「色々細帯段」
「色々細帯段」
【プラチナボーイ】
「霜降り更紗」
「霜降り更紗」
糸目友禅とろうけつ染で表現される、独特の表現
仁平さんの作品は、その独特の感性から、染め技法は何ですか?と聞かれることが多いのですが、 その技法は意外にも、極一般的な“糸目友禅”と“ろうけつ染”で作られているそう。制作の約98%くらい、 ほとんどはこの技法を使用したものだと言います。 「でも、その技法の扱い方が違っていて、他の作り手の方にも、“見ただけでは 作り方がわからない”と言われる事が多いんです。」 独特の“もや”のような濃淡や、深い陰影はろうけつ染によるものだそう。 でもそのどこかいぶし銀や空気のゆらめきのように感じられるあまり見たことのない 表情は、ひと目では、どのような技法でどのように染められたのか、プロの職人でもわからないと言います。 “「染め」でしか表現できないものを作っていきたい”という仁平さん。常に染色の新たな可能性を探り、 新しい創作へ意欲的に取り組み、いつも私たちに新鮮な作品を届けてくださっています。イタリア料理で“日本人”を再認識し、染色の道へ
昭和40年生まれ。小さな頃からものづくりが好きで、都立工芸高校デザイン科へ進まれた仁平さん。卒業後はファッションメーカーで靴下のデザインの仕事に就かれましたが、 半年で退社。その後、進んだのは染色の道ではなく、子供の頃から好きだった料理の道でした。イタリア料理の有名店などで8年間、 料理人として修行を重ねられていく中で、自分の大きな視点に気づかれたそう。 「鴨料理をしていても、こってりとしたソースではなく、さっぱりとしたわさび醤油を合わせてみたくなる。 今でしたら和テイストのイタリアンもありますが、当時はイタリア料理は本場イタリアの味を作り上げる時代。
29歳、6畳の部屋から独立の道へ
ここで迫られた二つの選択。ただ働き同然であっても師匠の元で仕事をするか、思い切って独立するか。 仁平さんが選んだのは“独立の道”。「24歳ですでに結婚していたので、その道しか選択肢はなかったのです。」29歳、独立。とはいえ当時は大きな工房など持てるお金もなかった仁平さん。工房は自宅、 アパートの6畳の部屋しかありません。6畳でできるものはせいぜい小物。 (着物を作るためには13mほどの生地を一直線に張るため、その長さのスペースが必要です) 仁平さんはまずはそこでできる範囲のものを懸命に作り、 自ら小売店へ作品を持ちこみ、営業もしたそう。この営業力。作り手の方は意外と苦手な方が多いのですが、 そこは前職の工房での経験が本当に役に立っているそう。そうして少しずつお金もたまり、大きな部屋に引っ越すことができ、 やっと着物や帯が作れるようになりました。
『銀座もとじ』との出会い、お付き合いはもう20年近く
ちょうどその頃、仁平さんが営業で作品を持ちこんでくださったのが「銀座もとじ」でした。 「さまざまな店をまわっていましたが、『銀座もとじ』は“実験的なもの”を受け止めてくれる店として作り手の中でも 知られていました。当時からわたしの作風は今と変わらず、ちょっとくせ(個性)があるので、小売店によっては 好みが分かれることがあったのですが、『銀座もとじ』なら自分も受け入れてくれるのではと思いました。」 店主 泉二も、他の作家とはひと味違うオリジナルな作風に惚れ、意気投合。 それからお付き合いはもう20年近くになります。そして、仁平さんには、銀座もとじの毎年5月の恒例行事、銀座で唯一の小学校、 泰明小学校での“銀座の柳染め体験授業”にもお手伝いいただき、もう16年になります。 今回はちょうど、体験授業で生徒さんたちが染め上げた反物が、仁平さんのところで蒸し上がってきたので、会場で皆さまにもご覧いただきました。
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