第8回:桜製作所 会長 永見 眞一 さん (建築設計技師)
今回のお客様は、高松市で家具製造会社を経営していらっしゃる株式会社桜製作所 会長の永見眞一さんです。 彫刻家、流政之氏と交流が深く、1963年にはデザイン運動「讃岐民具連」に参加し、その後はジョージ・ナカシマと交流。 ジョージ・ナカシマの指導の下、「木」に対するすべてを学び、ナカシマの本国以外でのは唯一のパートナーとして 仕事を行ってきました。当社とは、「和織」店を造るときからお付き合い頂いております。
<永見 眞一 桜製作所会長 プロフィール>
1923年高松市生まれ。建築設計技師から家具製造会社を設立。彫刻家、流政之氏と交流が深く
1963年、流氏が中心となったデザイン運動「讃岐民具連」に参加。
翌年から同じく参加したジョージ・ナカシマの指導のもと木に接する姿勢、木工の理念の探求が始まった。
桜製作所で作り続けられるジョージ・ナカシマの家具は、彼の精神を今なおしっかり受け継ぎ、世界中にファンは多い。
著書:「木の仕事」(住まいの図書館出版局)
「和織」での出会い

泉二: 会長に初めてお目にかかったのは、「和織」の店舗を作ったときですから、もう5年近くになりますね。
永見: そうですね。あのとき高松までお出でいただいて、テーブルの木や床材の石を選んでいただきました。
泉二: 桜製作所の材木置き場に入った時には仰天しました。あんなに沢山の木が所狭しと置かれていて… 身の丈以上の材木の間を見て廻っているうちに、本当に興奮していました。 実際にテーブルのために選んだ「栃の木目」の美しかったこと。今でもあの時の興奮は忘れたことがありません。
「男のきもの」の石のお帳場
泉二: 2002年秋に銀座3丁目にオープンした「男のきもの」店では、店のシンボルとなったお帳場を思い出します。 巨大な石をくり抜いて引き出しを組み込んでいただくという大変なお仕事をお願いしましたね。
永見: そうですね。店舗のプロデュースをしていた稲生さんから話を頂いたときは、「そんなことできるのかな…」と 思いましたけれど。讃岐はご存知のように良い石が出ます。 それでも、注文にピッタリの大きさの石が手にはいる事はなかなか。泉二社長のパワーがあの石を呼び寄せたと思っています。
泉二: 「男のきもの」店は、今年4丁目の新店舗のオープンにともない閉店となり 今は「悉皆」店となってしまいましたが、 あの石のお帳場は「どうしても持っていこう」と思ってね。今、新店舗に移され、健在です。
永見: 嬉しいですね。新しい舞台で一層存在感を増しているようで、こちらも仕事をした甲斐があります。
「新店舗」のビック・テーブル
泉二: 今年4月にオープンした新店舗では、何と言っても「ビック・テーブル」ですね。これには本当に驚きました。
永見: 私もですよ。ずいぶん長いこと家具作りをしてきましたけれど、こんなに大きなテーブルははじめてです。 脚に使われている庵治石の大きさも半端ではないですから、重量で床が抜けるのではないかと心配でした。
泉二: 永見会長でも、この大きさははじめてですか。「和織」から始まって、「男のきもの」、四丁目の新店舗と ずーっとお付き合いいただいて、素晴らしい建具を作っていただき本当にありがとうございます。
永見: こちらこそ、次々に大きな仕事をいただいて、「毎回がチャレンジ」で感謝しております。 次は「海外でのプロジェクトかな」と密かに期待しております。
ジョージ・ナカシマとの出会い
泉二: 会長は、ジョージ・ナカシマ氏と長い間ご一緒に仕事をされていましたが、どんな方でしたか?
永見: ナカシマ先生は1964年に彫刻家、流政之先生の薦めで来日し、その時に高松にもいらっしゃったんです。 当時、讃岐の職人達で活動していた「讃岐民具連」に共鳴されその一員になられました。 その時から自身の家具製造先として、私たち桜製作所との付き合いが始まったのです。ずいぶん木についていろいろなことを教えていただきました。 ニューホープ(アメリカ)のナカシマ先生のアトリエにも何度も伺いました。 亡くなられて15年近くになりますが、今でもナカシマ先生のデザインされたコノイド・チェアなどは桜製作所の主力商品です。
愛車はアルファ・ロメオ

泉二: 一昨年にはご自身でビルも建てられたとお聞きしましたが。
永見: 喜寿を迎えたときに一念発起しまして、高松の中心部にあった生家跡に4階建てのビルを造りました。 この建物は、昨年の『香川県建築士会の優秀賞』をいただきました。 木で仕事をしている家具屋ですから、とことん木にこだわって、ファサード(窓枠)を木製のサッシにしたんですよ。 1階、2階は「桜ショップ」と名付けたショウルーム兼ギャラリーになっています。。
泉二: 今度、是非伺いたいですね。 会長が素敵な車に乗って、高松市内の桜ショップと郊外の桜製作所本社との間を飛び回っているという噂をお聞きしたのですが…
永見: いやー、町中に引っ越したら駐車スペースが狭いので、車を少し小さいのにしたんです。
泉二: 何に乗っていらっしゃるんですか?
永見: アルファ・ロメオです。
泉二: えーっ!アルファ・ロメオですか!
ジョージ・ナカシマと桜製作所展
泉二: 今回はご無理を言って「ジョージ・ナカシマと桜製作所展」をぎゃらりー泉で開催させていただくことになりました。 どんな作品が並ぶんでしょうか?
永見: ナカシマ先生の代表作をできるだけお見せしたいと思っています。 オリジナル・ドローイングも展示する予定です。期間中は「銀座もとじ」さんにこられるお客様に直接商品のご説明をしたいと思っております。
泉二: 素晴らしい展示会ができると期待しております。今後ともよろしくお願いいたします。
<ジョージ・ナカシマ (1905~1990)>
日系アメリカ人
ワシントン州のシアトルで育ち、ワシントン大学で森林学を二年間学んだ後、建築学を二年間学ぶ。
奨学金を得てハーバード大学大学院に入学。その後、マサチューセッツ工科大学へ転校、建築学修士号を取得した。
卒業後は、なけなしのお金を持って世界一周の旅(アメリカが大恐慌の時代)に出る。
その途中、戦前の日本に立ち寄り、父の友人の紹介でチェコ人の建築家アントニン・レイモンドの設計事務所に席をおき、建築設計の仕事をする。
日本建築士の草分け時代の事で、当時の同僚には前川國男や吉村順三などが、後輩には丹下健三もいた。
その後、インドへ建築の仕事で赴任し、「木匠」としての精神的な基礎部分を形成する、貴重な体験を数多くした。
アメリカに戻ると、第二次世界大戦のため日系人として収容所に収監され苦労したが、そこで知り合った日本人大工に家具の作り方を教わった。
戦後は、アメリカに帰国したレイモンドを頼ってニューホープに移り住み、家具製作を始める。
アメリカでは1952年建築学会のゴールドメダルを受けるなど、早くから認められた。
作品はスミソニアン博物館、シカゴ美術館などにあり、1986年にはメトロポリタン美術館ジャパンギャラリーの一室の家具をすべてひとりで製作した。
日本でも東京国立近代美術館、東京都現代美術館などに作品が置かれており、文字通り世界的に知られた木工家具作家で、パイオニア的な存在の一人です。
[対談日:2004/08/01 筆:上田]
